世界名作劇場.net 小公女セーラ研究サイト:賛否両論?本作品の評価

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小公女セーラは、数ある世界名作劇場作品群の中でも、賛否がはっきりと分かれているようです。様々な意見があるのは当然ですが、これほど両極端に意見が割れるアニメも珍しいのではないでしょうか。ここでは、反対意見を見ることで『小公女』の魅力について明らかにしてゆきたいと思います。なお、わたくし管理人は、言うまでもなく肯定的立場をとっていますので、あしからずご了承下さい。

以下、このページは文章が長めです…

作中第38話より:真夜中に馬小屋へと連れて行かれるセーラさん。想いを残して何かを訴えかけるその表情が、見る者に迫ります。胸に咲く小さな花が、今まさに手折られてしまいそうな一瞬。してはならないことをした者。すべきことをしなかった者。両者の狭間で、セーラさんの碧い瞳が悲しみ色に染まります。彼女に降りかかる、余りにも辛すぎる現実という名の嵐…


小公女セーラに対する否定的意見は、主に2つあるようです。以下、にまとめて見てゆきます。


セーラさんへのいじめには、リアリティがありすぎます。LinkIconいじめの実態でも取り上げましたが、現実にもありうるケースがほとんどです。時代設定の違いこそあれ、学校生活上或いは一般社会においても避けられない、陰湿かつ過酷ないじめの数々が、ストーリー中に次々展開していきます。第11話までは、セーラさんとラビニアさんの学内における主導権争い(セーラさんにその気はなかったと思われますが、結果的にはそう捉えられます)という側面もありましたが、第12話以降は完全に一方的な状況です。先が見えず、全く救いがありません。第44話までの長きにわたり、セーラ・クルーさん暗黒絵巻が続くことになります。

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緒戦期はまだ、ライバル同士のせめぎ合いでしたが…   

原作本の初期タイトルにもあるように、『ミンチン寄宿学院で何が起こったのか』の一部始終を、我々視聴者は目撃することになるのです。そしてそれは、楽しい学園生活のお話しではありません。111hgure3v.png

同時にまた、セーラさんへのいじめを通して、

・自らの劣等感から、より弱い立場の者を攻撃する
・相手の状況によって態度を一変させる
・自身の安全のために他者の苦境を敢えて見過ごす

等々、人間の持つ負の一面も露にされます。この延々と続く悲惨な時期の連続は、『小公女』への批判の最たるものです。約1年間、毎週セーラさんの涙や苦しみを見ることになれば、作品全体にネガティブな印象を持つのも仕方のないところです。

確かに、もう少し緩やかな描写にできなかったものか、という向きもあるでしょう。現に、本放送終了後に制作された『完結編』では、いじめシーンはほとんどカットされています。本編の視聴者からの苦情もあったと聞きますし、制作サイドも考慮せざるを得ない事情はあったのでしょう。

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いささか逆説的ですが、いじめの描写なくして、小公女の世界は成り立たないのでは、と感じます。ファンとしてはつらいところですが、ある意味過度とも言えるほどのリアリティのいじめの先にあるものを見て欲しい、と願うのは、作品に対して好意的すぎる解釈でしょうか。

8vbkmjui.png作品へのスタンスにかかわらず仮定して頂きたいのですが、もしセーラさんの悲しみが薄められたストーリーがあったとしたら、果たしていかがでしょう。もちろんそれはそれでお話としては成り立つでしょうが、もはや別物と言わざるを得ないのでは?現実味ある大きな苦しみがあればこそ、その反動で思いやりや友情、くじけぬ心といった側面がより際立つのではないでしょうか。


誰しもが持つ心の暗闇に目を向けることで、最終的に人の美しい心・尊い情感を描き出してゆく。小公女が、大人の鑑賞にも耐えうる作品である所以は、まさしくここにあるといえます。この作品は、醜い感情に支配された寄宿学院という環境下でセーラさんが苦しむ物語ではなく、彼女とその味方となったベッキーさんらの示す人間としての崇高な言動録とみなしたいものです。ただ、結末にはもうひと工夫欲しかった、というのもまた事実ではありますが…

『小公女セーラ』をいじめという観点から掘り下げようとするならば、アーメンガードさんの心情というものもまた、取り上げておく必要がありそうです。

セーラさんの転入以前は、彼女が学内でいじめられる境遇にありました。それが、セーラさんとの出会いによって、

◎いじめられっ子からの脱却(完全にではありませんが、状況はかなり改善しました)
◎親友の獲得(2人は互いに、学院内で初めて親友と呼べる存在を得ることができました)
◎勉学におけるサポート(特にフランス語に関して)

などの恩恵を受け、2人は良好な友人関係を築き始めます。ところが、今度はそのセーラさんが自らと入れ替わるかのように、いじめの集中砲火にさらされる運命をたどります。このように、いじめの標的が状況によって変わることは、往々にしてあるものです。そして、一般論として新しいターゲット(=セーラさん)の登場によって苦痛から解放された者(=アーメンガードさん)は、そのまま傍観者の立場となってしまうことも少なくありません。かつての自分が受けたと同じ苦しみを、今まさに味わっている友を目前に、声を上げる勇気というものは、なかなか持ち得ません・・・

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作中でも、初めて得た親友セーラさんの苦境を前にして、アーメンガードさんは、面と向かっての救出行動に出ることはできませんでしたが、寄宿学院という特殊な環境下で、一般寄宿生の彼女にそこまでの要求をするのは酷というものでしょう。er.png
人間誰しも、自分の安全・安定があって初めて、他者への思いを実行に移せるのです。

もちろん、アーメンガードさんは、ただ手をこまねいて状況を看過していたわけではありません。第12話以降、セーラさんの苦難の時期には、アーメンガードさんも常に心を痛めて過ごします。

この、アーメンガードさんのセーラさんへの思いは、ベッキーさんのそれとはやや異なる性質の物と思われます。ベッキーさんは、セーラさんをお嬢様と仰ぎ支えようとしましたが、アーメンガードさんは対等な立場の級友として、セーラさんの苦しみに心寄せました。そしてその思いはやがて、アーメンガードさん自身を内面から動かす力となり、穏やかで優しく、おっとりとした彼女を少しづつ変えてゆきます。物語終盤では、絶対の存在である院長先生の命令を破って、病に倒れたセーラさんを見舞ったり、ラビニアさんと1対1での会話を交わして、その本音を引き出すほどの行動力を示すのです。

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『小公女』には様々な視点からの見方があるかと思いますが、アーメンガードさんの成長物語という視野から見てみると、また興味深い世界が垣間見えるのではないでしょうか。セーラ・クルーさんは、メイドという苦しみを経て新たな価値観に目覚めてゆきますが、アーメンガードさんもまた、そのセーラさんの心の声に寄り添うことで、より一層魅力的な人物へと脱皮してゆくのでは・・・

いじめでは、周囲のひとりひとりのほんのわずかな勇気が、状況を大きく動かすこともあります。ラビニアさんの意地悪によって、セーラさんが大切な心の友エミリーとの永遠の別れを強いられそうになったとき、それを押しとどめたのは学院みんなの声でした。誰もが胸に持つ小さな花。その花が、自分のためでなく他人のために咲いたとき、そこにかすかな希望の光が見えてくるのかもしれません。

第20話 エミリーの運命 より
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いじめた側に何の罰も与えられない、という点も、小公女ストーリーへの大きな批判材料です。ミンチン院長を筆頭に、ラビニアさん、ジェームス・モーリー夫妻など、あれだけ執拗にいじめを続けましたが、誰一人として、セーラさんが受けた苦しみに匹敵する罰を受けることはありませんでした。謝罪の言葉すらなく、それどころか、全員むしろ身辺の状況が改善されて物語は終わります。

{反セーラ・クルー同盟の戦後処理状況}

●ミンチン院長 →多額の寄付を受け、学院経営の劇的V字回復を実現。
●ラビニアさん →何ら支障なく、代表生徒兼特別寄宿生の立場を維持。その後あっさりと帰国。
●ジェームス・モーリー夫妻 →実害一切なし。使えるメイドがいなくなり、仕事量は増えた。
●ジェシーさん・ガードルードさん →二つ返事でセーラさんの学友として受け入れられる。
●アメリア先生 →院長に対する積年のストレスを発散できた上、発言権と自由裁量権を獲得。

※アメリア先生は、セーラさんを救出できる立場にありながら行動しなかったということで、上記に加えました。

lavi.pngこれではセーラさんのやられ損ではないか、という声は少なくありません。いくらいじめキャラとはいえ、あまりに手酷く罰するのは視聴者への手前、気が引けた、という可能性もありますが、リアリティを追求してきたはずの本作品では不自然です。徹底的に懲らしめるのが妥当では…と言いたいところですが、実はこれこそがまた、リアリティと言えるかも知れません…

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やや残念なお話になってしまいますが、かつて教室で、部活動で、いじめた側が完膚なきまでに叩かれることがあったでしょうか。或いは、管理者たる先生方や、その他大勢のクラスメートたちが、自らの立場も顧みず救いの手を差し伸べてくれるようなことは…99.png

大抵のいじめは、進級、転校、卒業等で自然消滅し「いじめの事実はなかった」「問題は既に解決した」とまとめられ、決着したことにされました。その後も、いじめられた方はその事実を忘れることは決してできませんが、いじめた方はその事実を忘れずにいることの方が稀でしょう。時が解決するという考え方は、いじめっ子にしか適用できないのです


翻って小公女の世界。全てを赦し、明るさを取り戻して強く生きてゆくセーラさんですが、やはりその心の傷が完全に癒えることは決してないでしょう。そして、凄まじいまでのいじめの構図が解消されたあと、真の人間性を試されるのはセーラさんの方です。上流階級に復帰し、これまで受けた仕打ちに対する、いかなる報復手段をも取り得る立場となったとき、彼女の胸の内に去来したものは何だったのでしょうか。おそらくはセーラさん自身にしか分からない葛藤の末、彼女は、これ以上誰も傷つけないという結論を選びとります。

一方で、何事もなかったかのように日常を続けてゆく院長先生やラビニアさん。彼女らにも、各々いじめを行うに至った理由はありましょうし、汲むべき事情もあって、それなりに心の痛みも感じてはいたはずでしょうが、厳しい表現をするならば、セーラさんのそれとは比較になりません。fuyfyuuf67e5638768.png

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状況の変化と共に、なし崩し的にいじめ関係は消滅し、いじめっ子達は速やかにその事実を忘れて新たな人生を歩み出す。そしていじめられた側は…誰も罰されない小公女セーラのこのエンディングは、現実社会の問題点を鋭く突いた、制作者サイドからのメッセージなのかもしれませんね。

これらは管理人の主観による個人的見解です。その他のいかなる意見や主張をも、否定・批判或いは助長するものではありません。

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