世界名作劇場 ペリーヌ物語MINIサイト:エンディング

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世界名作劇場.net ペリーヌ物語 MINIサイト

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このページでは、主に『ペリーヌ物語』と『小公女セーラ』を、比較・考察しています。

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1年間という長いスパンで放送される世界名作劇場。長編アニメゆえ、物語の終わらせ方次第で、作品はより一層その輝きを増します。ここでは「ペリーヌ物語」と「小公女セーラ」それぞれのエンディングを考察します。


語るに充分…!!
ペリーヌ物語では、クライマックス後、お話をまとめるために4話分の時間が用意されています。そこでは、単に彼女が祖父ビルフラン氏のもとで幸せに暮らした、という説明描写だけではなく、「マロクールの新たな街づくり」というテーマも示して、富豪令嬢となった今後のペリーヌさんが進むべき道を、無理なく描いています。

元々、祖父の持つ財産になど、全く私心を持たなかったペリーヌさんでしたが、この地に至る旅路での経験や、一工員として働いた過去の体験を活かし、働く人々の目線から、工場改革に乗り出してゆくことになります。この結末は、ややもすれば理想論の押しつけにもなりかねませんが、既述の通り4話もの時間をとり、丁寧な描写を心がけたことで、説得力が増しています。また、祖父との平和な暮らしを望み、他者を愛することの大切さも知ったペリーヌさんにとって、このマロクールの地をより良くしたいと願うのは、極めて自然な心理であるといえます。

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更には、「持たざる者」から「持てる者」の立場になったペリーヌさんですが、その言動にはぶれや変化が見られないのも流石です。日常からして、狩猟小屋での日々などと比べれば、180度違った世界に生きることになりましたが、贅沢を当然のものとして受け入れるような素振りもありません。

パンダボアヌ家の一員としての素質十分な彼女ですが、元々インドでは、旅また旅の毎日で、それほど裕福な暮らしをしていた訳ではなかったようです。それに、ここに至る旅路で、質素や倹約・周囲への思いやりの大切さなどは十分身に付いていますから、きっとよい後継者となってゆくことでしょう。

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<遥かなるマロクール。この、第二の故郷への愛が、ペリーヌさんの新たな生きる道です。>

総じてペリーヌ物語のエンディング部分は、クライマックス後にも十分な時間をとることで、名劇最長のロードムービー的ストーリーをきれいにまとめ上げた、秀逸なラストであると言えるでしょう。


語るに足りず…?
小公女セーラでは、クライマックス後に充てられた時間はペリーヌ物語の半分、2話のみです。そこではセーラさんが、メイドとして艱難辛苦に耐えた寄宿学院に多額の寄付をした上で、復学します。しかも、学院自体の改革に積極関与するのではなく、一生徒としての復帰です。くじけぬ心と他者への愛・赦しを知ったセーラさんにとって、この結末が最善のものであったのかどうか、それは彼女自身にしか分かりえない事でしょう。ですが少なくとも、この時点でのセーラさんの対応が、諸問題の根本解決策になってはいないことだけは、残念ながら明らかなようです。

それは、メイド期のセーラさんにとって最大の脅威だった二人のキャラクターを考察すると、はっきりしてきます。まず、ミンチン学院長ですが、セーラさんに辛く当たる一方で、学院の経営状態は思わしくありませんでした。そして、その問題を『寄付』という手法で一気に解決してくれたトム・クリスフォード氏に感謝する形で、その軍門に下りました。つまり、間接的にセーラさんの資金力に擦り寄っただけであり、心情的には反省や後悔など、全くしていないのです。今後もし、世界情勢の推移に伴って、セーラさんの資金力に陰りが見えたとき、マリア・ミンチン女史がどのような言動に出るか、そこで彼女の人間性が、改めて問われることとなるでしょう。

次にラビニアさんです。彼女は、事態の趨勢が圧倒的不利になったのを素早く悟り、自己保身のためにセーラさんと握手を交わしました。このラストシーンは、美しい和解とも見なされがちですが、実際には『終戦』ではなく『休戦』です。そしてそのことは、何よりラビニアさん自身が一番よくわかっており、最終的には母国アメリカへの帰国、という形で、幕引きを図るのです。今後、この二人の少女の人生が交わる可能性は低いと思われますが、最後まで状況に屈しなかったという点では、ラビニアさんにも一定の評価は与えるべきなのかもしれません。

こうして見てみると、やや残念な状況が露呈しますが、この二人のいじめキャラの真意を悲しむよりも、おそらくは全てを理解した上でなお、復学という道を選んだセーラさんの崇高な心持ちの方を、私たちは評価すべきでしょう。そして、セーラ・クルーさんのこの心こそが、彼女最大の魅力の一つである、と言えましょう。

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また、ダイヤモンドプリンセスとして復活後、贅沢な暮らしを当然のものとして受け入れたセーラさんの言動が、ペリーヌさんと対照的である点も、極めて興味深いところです。これは、実質初めて富裕層の暮らしに足を踏み入れたペリーヌさんに対し、セーラさんは以前の生活水準に戻っただけ、という見方もできます。

元々「持てる者」だった彼女が「持たざる者」の視点をも持ち得た時、その魅力は一層増してゆくことでしょう。

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<ロンドンに沈む夕日。セーラさんの想いはどこへ・・・>

総じて小公女セーラのエンディング部分は、やや駆け足になったことで、捉えようによっては見る者に複雑な心境をもたらすものである、と言えるでしょう。小公女ファンの管理人としては、ここが唯一、気にかかる点です・・・

付記:ラストシーンのまとめ方比較

苦境からの大逆転で、強大な経済力をも手にしたペリーヌさんとセーラさんですが、その使い道から受ける印象の差異は、やはりエンディングに充てられた時間の差から来るものであると思われます。ここでは、行き急いだ小公女のラストを悲しむよりも、じっくりと後日譚をも描いたペリーヌ物語のラストを評価すべきでしょう。

また、物語としてラストを語り尽くせたか、という点でも、ペリーヌ物語は実によくまとめられていて、大きな穴はありません。敢えて指摘するならば、次の2点でしょうか。

●前半の長旅編で、ペリーヌさんがお母さんに語っていた『医師になりたい』という進路希望がどうなったか、についての説明がありませんでしたが、これは前述のように「マロクールの街づくり」へと置き換わっていった、ということでしょう。彼女はまだ10代前半。胸に抱く将来の夢が次々変わってゆくのは、むしろ当然と言えます。

●苦しい長旅を支えた『写真屋』という職業を活かす術も、描いて欲しかったように思います。1870年代後半当時では、大型カメラの扱いや現像作業は特殊技能と言えますので、13歳で既にそれら一連の知識と実践法を身につけていたペリーヌさんは、立派な技術者でもあったわけです。小屋での一人暮らしで、あれほどの才能を見せた彼女ですから、ぜひとも写真家としての一面も伸ばしていってほしいものです。

厳密に見ると、作中でペリーヌ親子が使っていたカメラは、当時まさに普及が始まったばかりの乾板式フィルム仕様のようですが、経費のかさむ長旅に、初めから最新式の機材を携行していたというのは、やや設定に無理があるようにも思われます。

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また、親子の旅の出発地、イギリスの直轄植民地だったインド東部のダッカに、そのような最先端の工業製品が流通していたのか、という点も、疑問が残ります。ですが、かと言って主流タイプだった湿板式カメラですと、機材一式が大掛かりになり過ぎてしまい、実際の撮影にも長時間を要する物でしたので、物語の進行上、やむを得ない措置だったのかもしれません。
いずれにしろ、カメラの問題は、ストーリーに影響を及ぼすまでの事案ではなさそうです。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

一方、小公女セーラはラストを語り尽くせたのか。姉妹サイトでも取り上げましたが、少なくとも以下の2箇所、補足が欲しい部分があります。

●セーラさんがミンチン学院を追放されてから、学院に連れ戻されるまでの下町での生活の様子が、十分には表現されていません。この間、マッチ売りをしていたことは描写されていますが、セーラさん最大の苦難とも言えるこの時期の描き方としては、時間が少なすぎるようにも思われます。

●雪の日のクライマックスから、学院を再訪するまでの経緯が、抜け落ちています。結果的には、この間に、学院への多額の寄付・復学・ベッキーさんの専属メイド採用といった事項が決められていたのでしょうが、そこに至る過程はぜひとも描いて欲しい所です。

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このように、『小公女セーラ』には、描ききれていないと思われる重要なパートが存在しますが、これは裏を返せば、それだけこの作品には、創作ストーリーを受け入れる余地がある、とも言えなくはありません…
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