『世界名作劇場 小公女セーラ』あったかも知れない、こんなお話。
最終回第46話から約2年後。美しく咲こうとしている小さな花。
セーラ・クルーさん13歳。風薫る5月のロンドン・・・
新生の学院と共に、新たな人生を歩き始めたセーラさん。その向かう先はどこなのでしょうか。
ベッキーさんへの感謝
in 1888 London
「ええっ?わたくしがでございますか?」
セーラさんが晩餐会への同行を頼んだのは、ベッキーさんでした。
ベッキーさんは、専属メイドとしてクリスフォード邸に住み込んでいましたが、セーラさんにとってはメイドなどではなく、得難い大切な親友でした。
あの辛い一年間、ベッキーさんが示してくれた優しさや思いやり、自己犠牲の精神は、単にセーラさんを助けただけでなく、お嬢様だったセーラさんの価値観をも大きく変えてくれたのです。そして彼女は、それらを生涯忘れまいと固く心に誓っていたのでした。
そんなセーラさんにとって、自らの晴れの舞台に共に立ってくれるのは、ベッキーさんを置いて他にはありえなかったのです。
「で、でもお嬢様、わたくしみたいなのが王室に付き添って行ったら、ご迷惑なんじゃないかと・・・」
「ううん、そんなこと全然ないわ、ベッキー。それにあなたにお願いしたいのは、付き添いなんかではないわ。お友達として一緒に来て欲しいのよ」
「お、お嬢様ぁ・・・」
ひとしきり、嬉し涙のベッキーさん。
彼女は謙遜しますが、実はベッキーさん、専属メイドになってから、セーラさんに語学やマナーなどを教わっていました。そして今や、彼女も立派な働くリトルレディだったのです。それが分かっていたからこそ、セーラさんも自信をもって依頼したのでしょう。
「ああ、ベッキー、あなたと一緒に晩餐会に行けるなんて、こんな嬉しいことはないわ」
「わたくしもですぅ、お嬢様ぁ」
屋根裏のお茶会
in 1888 London
「セーラ、あなた王室にお呼ばれするなんてすごいわ」
「セーラママ、社交界デビューだね」
アーメンガードさんやロッティさんも、自分のことのように喜んでくれました。
ベッキーさんも交えての、午後の楽しいお茶の時間です。場所は学院4階、セーラさん専用お勉強部屋、かつてメイドとして過ごしたあの屋根裏部屋です。改装されて今ではすっかりきれいになり、ほかの屋根裏は新しいメイドさんたちが使っています。
2年前、セーラさんは学院に復学するにあたり、ひとつだけアメリア先生に無理をお願いしていました。それは、この屋根裏部屋を使わせて欲しい、ということでした。あの日々を過ごしたこの場所は、やはり忘れがたいものだったのです。
楽しい会話がふと途切れ、セーラさんはわずかに涙ぐむと切り出しました。
「みんな、ここでのパーティー、覚えていて?」
「ええ、覚えているわ、セーラ」
「ええ、もちろんですとも!お嬢様」
メイドとしてつらい日々に耐えるセーラさんが、この屋根裏部屋で秘密のパーティーを開いたのは、もう2年以上前のことです。あの時は、みんなで目を閉じ、きらびやかな晩餐会の様子を空想して楽しみました。
「でもあの時はミンチン先生が来て、大変なことになってしまいましたですね」
「パーティーは一瞬で消されてしまったわ」
みんなの言葉に、滲んだ涙をそっと拭きながら、セーラさんは答えました。
「ええ、でも今は、このお部屋の扉が開くのに怯えることも、お腹がすいて辛く苦しいこともなくなったわ。そして私とベッキーは、決して消えることのない晩餐会に赴こうとしているのよ」
そして、4人は優しくほほえみ合うのでした。
この屋根裏部屋で確かにセーラさんは傷つき、苦しみ、寒さや悲しみに震えました。しかし今、目の前にいる素晴らしい友人たちもまた、この部屋での暮らしによって得られた宝物なのです。
そう思う彼女は、静かにこの場所に心を寄せて、かけがえのない時間を噛み締めるのでした。屋根裏の出窓の向こうには、澄み切った5月のロンドンの空が広がっていました。
素晴らしき晩餐会
in 1888 London
晩餐会の日がやってきました。朝から落ち着かない様子のベッキーさんは、セーラさんに手伝ってもらって、やっと支度ができました。
「お嬢様ぁ、すみませんですぅ、お嬢様にドレスまで着せていただいて。これじゃ専属メイド失格です・・・」
「そんなことないわ、ベッキー。私もとても緊張してるの・・・さあ、出来たわ!行きましょう」
学院を背負っての大切な一日の始まりです。
「じゃ、セーラさん、頑張ってきていらしてね。あ、ベッキー、セーラさんをよろしくねぇ」
「セーラ、気を付けてね」
「セーラママ、あとでお話し聞かせてね」
「ありがとう、皆さん。じゃ、院長先生、行ってきます」
学院総出のお見送りを受けて、ふたりはバッキンガム宮殿に向かいました。送ってくれるのは、ピーター君の馬車です。彼もまた、下町の市場でたくましく生きているのでした。今では、学院への食材の卸売りは彼の力によるところも大きかったのです。
ふたりのリトルプリンセスを乗せて、馬車はロンドンの街を走ります。
「お嬢様、まだたっぷり時間はありますけど、下町をひと回りしていきますか」
「ええ、お願いするわ、ありがとう」
ピーター君の気遣いを嬉しく感じるセーラさん。もはや彼女の人生で忘れ得ぬ街となった、ロンドン。全てを思い出として語れる日にはまだ遠いですが、その全てが愛おしい記憶と共にあります。
市場への通い道、アンヌのいるあのパン屋さん、エミリーと出逢った洋服屋さん、そしてデュファルジュ先生のもとへと駆けた路地・・・
馬車は5月の爽やかな風を受けながら、思い出の街並みを走り続けます。
テムズ川のほとり、マッチ売りの寒さに耐えた景色・・・ああ、メアリーさんやマギーさんは元気だろうか。それにあの親切な衛兵さんはどうしているでしょう・・・
やがて、馬車は静かに宮殿へと向かいます。小さな修学旅行を終えたセーラさんは、そっと息をつくと、わずかに潤んだ瞳で、夕暮れへと濃さを増した青空を見上げました。
「お嬢様・・・」
そんなセーラさんに、ベッキーさんが寄り添います。言葉はなくとも、気持ちはひとつでした。
「それじゃ、お嬢様、ベッキー、気を付けて」
「ありがとう、ピーター」
少し手前で馬車を降りたセーラさんとベッキーさんは、ピーター君に礼を言うと、ついに宮殿へと足を踏み入れます。エントランス前の広場は、既に着飾った人々や、豪華な馬車であふれ、華やかな世界をふたりに見せてくれました。しばし我を忘れ、その光景に心奪われます。
「ああ、なんて素晴らしいんでしょう。思っていたとおりの光景だわ・・・」
感極まったように、セーラさんがつぶやきます。
「ええ、ほんとうに・・・そうですわね、お嬢様・・・」
ベッキーさんも、感激のあまり言葉が続きません。目のくらむような大晩餐会は、まさにこれから始まろうとしています。
セーラさんの小さな恋
in 1888 London
あまりに感動したふたりは、広い宮殿の中で迷ってしまいました。どちらに行っても、人の波。招待客が多すぎて、出迎えてくれるはずの市長夫人たちと、なかなか出会えないのです。
「ど、どうしましょう、お嬢様・・・」
泣きそうなベッキーさんを励まして、セーラさんは答えます。
「困ったわね・・・でも大丈夫よ、ベッキー。そうだ、あそこの衛兵さんに聞いてみましょう」
そう言うとセーラさんは、何気なく傍にいた若い衛兵さんに話しかけました。と、ハッとした表情を浮かべる衛兵さん。
「!」「?」
束の間、二人の視線が交わります。
「あ、あなたは・・・!」
二人は同時に気づきました。相手が誰であるかを。先に言葉を発したのは、セーラさんでした。優雅な動作で挨拶を述べます。
「ご無沙汰しております。その節は大変お世話になりました。お陰様で今日、こうして晩餐会にお招き頂いています」
「いや・・・ご立派になられて・・・見違えるほどに・・・私こそ、失礼いたしました」
ちょっと堅苦しいやりとりをするふたりの横で、ひとり戸惑うベッキーさん。セーラさんは微笑んで続けました。
「あの、私もう一つ、お礼を言わなくては・・・」
「もう一つ、ですか・・・?」
「はい、あのあと私、苦手だったジャガイモが大好きになったんです」
一瞬の間ののち、凛々しい制服姿の衛兵さんは、優しく微笑みました。笑顔を交わした二人のうしろで、晩餐会の始まりを告げるファンファーレが流れ始めています・・・
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